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歴史

アマゾンの歴史

写真・プレセピオの要塞
 アマゾン地方の「アマゾン」という名前の由来には様々な説があるが、最も一般的なのはギリシャ神話の女王ヒッポリュテ率いる女部族アマゾンの説である。アマゾンとはギリシャ語で「胸のない」、または「乳なし」という意味で、女部族が弓を操りやすくするために胸を切り落とすことを習慣にしていたためこの名が付いた。
 
 アマゾン川探検の先駆者だったスペイン人はアマゾン川流域でインディオの女部族を発見すると、伝説の部族アマゾンと遭遇したと信じてやまなかった。そしてこの場所をアマゾン、それを流れる川をアマゾン川と呼ぶようになったと伝えられている。

 16世紀にスペイン人がアマゾン地方の開拓を始めると、フランス人、ポルトガル人らがその後に続いた。すると各地で要塞が建設されるようになり、そこを拠点に町作りが進められた。1616年には後にベレンとなるプレセピオの要塞が、1669年には後にマナウスとなるサンジョゼ・ド・リオネグロの要塞が設置され、徐々にブラジルが形作られていく。  
 
 ブラジルの独立後、政府はバハ・ド・リオネグロを州都としたアマゾナス州を設立。このバハ・ド・リオネグロが後にマナウスと呼ばれるようになる。また、ベレンを州都としたパラ州も独立を手にしたブラジルに吸収され、現在に至る。
 
 1860年代後半にはゴムの生産がアマゾン地方の経済活動に多大な影響を及ぼすようになる。1866年になるとアマゾン川は外国の船に開放された。その後、ゴムの原材料であるラテックス生産のため、多くの北東部地域出身の人々が同地域に移住した。この頃には海外企業も多く進出している。1890年から1910年の間には世界のゴム生産の40%をアマゾン地方が占めるまでに成長し、絶大な資力を得た。このことがきっかけでベレンとマナウスは欧州及び北米の主要港と結ばれるようになり、経済都市へと発展を遂げた。


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